かつて兵庫県で「民謡の天才少女」と呼ばれた少女がいた。
彼女は人見知りが激しく、それを心配した母親が祖母の通う民謡教室に連れていったことが始まりだった。
週に一度、地元の民謡教室へ通い民謡の腕を磨いていった。彼女の才能に最初に目を付けたのが民謡教室の橋本先生だった。先生に言われるがまま「兵庫県日本民謡祭名人戦」に出場し、いきなり優勝を果たす。「民謡の天才少女」が誕生した瞬間だった。
その後は「コロムビア民謡コンクール(少年少女の部)」「産経民謡コンクール(少年少女の部)」などで優勝し、瞬く間に頭角を現していった。
みどり、当時11歳、兵庫県・姫路市出身。
みどりは、更なるステップアップの為に姫路から秋田や岡山まで民謡のレッスンに通うようになる。
演歌好きの祖母の影響で様々な演歌歌手のコンサートに行くようになり、その中で影響を受けたのが鳥羽一郎。鳥羽一郎の歌に触れ、日本人の心情や情緒、四季や風景を歌う「演歌歌手」という夢を抱くようになった。
18歳になるとオーディション雑誌を見てアイドルのオーディションを受け、グランプリを獲得し芸能界デビュー。バラエティー番組のアシスタントとして、時には体を張ったロケも行い、アイドルとして活動していった。
そんな折にふと立ち止まり、改めて自身の人生や夢について考えるようになった。
アイドル活動を辞め、大阪にあるアーティスト育成の専門学校へ通い、本格的な歌手になるためにボイストレーニングや作詩、人前で歌うことのトレーニングを積んだ。みどりのハリのある伸びやかな高音ボイスはここでさらに磨きがかかった。
その後、20歳となったみどりは、カラオケ番組に出演したことがきっかけとなり、2005年「おけさ渡り鳥」で演歌歌手「丘みどり」としてデビューを果たした。
スターへの階段を駆け上がる…そんな夢に向かい、母と2人走り出した矢先のことだった。母の体はすでにがんに侵されていた。NHKにも出演し、CDセールスも順調。デビューしたばかりの新人にとってとても大事な時期に、みどりは母の看病のために芸能活動の一時休止を決意した。同期の歌手をテレビで観るたびに落ち着かない気持ちだったが、母の為に必死で看病をした。
1年後の2006年暮れ、母は家族に見守られながら47歳という若さで静かに息を引き取った。
生前の母は「ママは幸せやったよ。でも後悔していることがたくさんある。してみたらよかったと思うことが多すぎる。だからみーちゃん(みどり)には何でもチャレンジしてもらいたい。ママの分までしたいこといっぱいして欲しい。やらずに後悔よりやって後悔の生き方をして欲しい」とみどりに語った。
母が亡くなり、ヤケになって「もう歌手を辞める」と言ったみどりに父は「うん。いいよ。もう辞めな」と優しく語りかけた。その言葉を聞いて冷静になることができた。今思えば、あの時「辞めるな」と言われていたら反抗して辞めていたかもしれない。
歌手活動を再開したみどりは2007年「日御碕灯台」、2008年「風鈴恋歌」、2010年「北国、海岸線」、2012年「木曽恋がらす」、2014年「椅子」と次々に新曲をリリースした。
今まで自分を支えてくれた多くの人たちのため、そして天国の母との約束を胸に丘みどりは大きく羽ばたいていくことを決意。
2016年1人東京へと上京、事務所もレコード会社も移籍し1からスタートを切った!
キングレコード移籍第一弾となるシングル「霧の川」は、第9回日本作曲家協会音楽祭「奨励賞」、第49回日本作詩大賞「優秀作品賞」を受賞。
2017年2月8日には、キングレコード移籍第2弾シングルとなる「佐渡の夕笛/雨の木屋町」が発売。
亡き母との約束の為、支えて下さる多くの人たちの為に丘みどりは全力で走り続けます!